想い

「貧しいお金持ち」と「豊かなおばあさん」の話

幸せ
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皆様お久しぶりです。

まずは、このたびの令和6年能登半島地震により亡くなられた方々に謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災されました皆様に、心よりお見舞い申し上げます。

はじめに

私の地元熊本も、2016年に発生しました震度7の地震により、
多くの方が被災しました。

まさか地元が被災するとは思わず、テレビで流れる映像を見ても映画を見ているように現実感がありませんでした。

住みなれた街がぐしゃぐしゃになるショック、
母の安否がわからない恐怖、
たくさんの方が苦しんだだろう痛みを想像し、涙が止まりませんでした。

 

今回の震災の映像を見るたび、

なぜまたこんなことが・・

と、ご家族を亡くされた方の映像を観ては自分も同じ痛みを感じては心苦しい気持ちになり、年明けしばらくは、前向きな気持ちになることができませんでした。

 

どうか1日も早い復興と、これまでの日常に戻れますよう、
同じく地元が被災した私も、微力ながら被災地の皆様のお力になっていきたいと思います。

さて今日は、「幸せ」をテーマに綴ってみたいと思います。

 

当たり前の幸せ

幸せな家族
  • 元気に動く体があること
  • 家族や友達が元気でいてくれること
  • 雨風凌げる家があること
  • 蛇口をひねれば水が出ること
  • 温かい布団の中で眠れること etc…

今回の震災で、多くの方がこの「当たり前の小さな幸せ」に気づいたのではないかな、と思います。

人は誰しも、当たり前なものに「慣れ」てしまい、
「感謝」が薄れ、「ないもの」にばかり意識が向きがちです。

 

誰もが羨む豪邸をあなたに差し上げます。
高級車も何台も差し上げますし、誰もが振り返る絶世の美女と結婚させてあげます。

その望みを叶える代わりに、あなたの大切な家族の命をください。

 

もしそんな交換条件をもらったとしても、
ほとんどの人がその条件をのむことはないでしょう。

実は、私たちが心の底から願っている幸せというのは、
すでにほとんどの人が手にしているのです。

 

 

人生で出会った豊かな人と貧しい人

今年で38歳になるわたしも、人生の折り返しが近い年齢になりました。
これだけ生きていますと、老若男女、さまざまな方にお会いしてきました。

その中で、「貧しい人」もたくさん出会いました。

ここで言う「貧しい人」とは、
金銭的に貧しいだとか、見た目がみすぼらしいという意味ではありません。

 

「貧しい」お金持ち

お金持ちの男性とある経営者のおじさまは、いわゆる社会的に成功者といわれ、
毎日六本木・西麻布で飲み歩いているような超のつくお金持ちでした。

彼の隣にはいつも美女が何人も座っていました。

ご結婚もされていて、見せてくださったご自宅の写真は、

さとみ
さとみ
玄関にたどり着くまでにいったい何分かかるのだろう・・

と思うくらいの大豪邸でした。

 

とても可愛い娘さんもいらっしゃるのですが、
様々な美女を手当たり次第に口説いては、不倫は日常茶飯事。
まさに取っ替え引っ替えでした。

「有名な誰々と男女の関係になったことがある」など、
ことあるごとに自慢げに話していました。

 

また、格下だと思ったお店の従業員に対しては

「どけ!」

と手を払いのけ、
我先にエレベーターに乗ろうとしたり、
時には人の容姿を馬鹿にしたりしていました。

まわりの美女たちは何も言いません。

「彼といることで自分が得をする」

からでしょう。

カジノ

えてして、港区にはびこる「港区おじさん」の多くは、
女性をチヤホヤしつつも内心は見下しているので、
本人も気づかないうちにどんどんワガママになります。

 

女性側はお金持ちの彼から嫌われたくないので、
彼を不快にさせないよう、自分の意見は言わず、
彼がすべて正しいとばかりに全肯定します。

 

当然、自分の意見を言う女性よりも、何も言われない方が本人は心地いい。
すべて彼の言いなりになってくれる都合のいい人だけを周りに置くので、
彼の態度はどんどん高慢に、横柄になるばかり。

彼に何か意見する女性がいれば、

「お前は用無し」
「代わりの女なんていくらでもいるんだ」

 

とばかりに音信不通にしたり、
これまでの恩や情など一切なく、容赦無く即座に切り捨てます。

 

東京には桁違いなお金持ちもたくさんいますし、
地方より遊ぶ場所もお買い物する場所もたくさんあって一見豊かに見えますが、
男女問わず、心が貧しい人がとても多く感じます。

どんなに広い家に住んでも、
優しい奥様がいても、
高級車に乗っても、
悩みを聞いてくれる友達がいても、

彼ら彼女らは、ずっと「孤独」で「不足感」が満たされないのです。

今ここにすでに幸せがあるのに、
「もっと理想のもの」
を探し続ける。

高慢で高くなりすぎた自尊心と虚栄心は、
本人の気づかないところでどんどん大きくなる。

正直な気持ちで向き合おうとしてくれた人は跳ね除け、
虚像を「真実の愛」「自分の理解者」だと勘違いする。

なんて悲しい人生なんだろうかと思います。

 

豊かなおばあさん

おばあさん今回の能登半島地震で、避難所に避難している被災者にインタビューをしている映像の中で、とある記者さんがおばあさんに、

「何か不足しているものはありませんか?」

と尋ねていました。

そのときに、

「何もありませんよ。食べ物もありますし、もう十分満足しています。」

 

といった感謝の言葉をおっしゃられていて、
その姿がとても気品あふれて美しく、ハッと胸を一瞬で掴まれるほど印象的でした。

おそらく戦争を経験し、貧しい時代を生き抜いてきたからこそ、
日々を謙虚に丁寧に、感謝の気持ちをもってこれまで生きてこられたのでしょう。

(動画を貼りたかったのですが、どの動画だったかわからなくなってしまい・・
もし同じ動画をご覧になった方がいらっしゃれば教えてください。)

毎日不自由なく暮らしているわたしたちでさえ、
いつも「ないもの」にフォーカスしてしまいがちですが、

何かと不満や不足を言いたくなるような避難所にいても
「感謝」の心で生きていられるこのおばあさんは、
これから先も、幸せに満ち溢れた人生を送っていかれるのだろうな、と思いました。

 

今日何に、誰に感謝しますか?

幸せわたしたちはすでに「幸せ」です。

もちろん、夜も眠れないほどつらいこと、悲しいこと、
つい最近もわたしは経験しましたし、
今でもまだ乗り越えられていない悲しい出来事もあります。

 

でも、生死に関わる悩みや大切な人との別れに比べたら、

仕事がうまくいかないことだとか、
上司に嫌なこと言われちゃったなとか、
失恋した傷みだとか、
将来の不安だとか。

それって生きているからこその贅沢な悩みなんだなって思います。

連絡を取ればいつでも繋がれる人がいること。
「今日は何を食べようかな」って悩めること。
ネットが繋がっているから、ぼっちでも寂しさを紛らわして暮らせること(笑)

幸せは探すものじゃなく「気づくもの」、
今回の震災を通してより強く感じました。

 

去年の秋に読んだ、ペンキ画家SHOGENさんの
「今日、誰のために生きる?」という本は、
日々、小さなことにも感謝をもって生きることや、
些細な感謝も言葉にして想いを伝える大切さに、改めて気づかせてくれました。

さとみ
さとみ
「今、ここ」にある幸せに意識をフォーカスさせてくれて、家族を超えた愛に気づかせてくれる素晴らしい本でし。ぜひご一読くださいね。

 

みなさんもぜひ、暮らしの中にある感謝の数を探してみてくださいね。
そして、その感謝を直接その人たちに伝えられたら、
もっと幸せな日になりそうですね。

 

今日も1日、皆様が笑顔で元気に過ごせますように。

 

それではまた。

ABOUT ME
Satomi Noda
社会起業家、ヴィーガンコスメ『ラヴィステラ』代表。「7世代先も持続可能なビジネス」をモットーに、人、動物、環境に優しいウェルネスライフの普及に努めています。星読みとナチュラルワインと猫が好き。